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時間軸とものの考え方

「昔、こういうことがあった。」「今、こういうことが起こっている」「今後、こういうことが起こるだろう。」
これは「時間軸とともにものを考えている状態」であると言えると思います。
この、「時間を遡りながら、あるいは先行しながらものを考える」というのは、誰でもできることのように思います。
しかし、私は正しくそれが出来ている人というのは思っているより少ないのではないかと思うのです。
ここで、ちょっと数学っぽいお話をします。とはいっても、難しい話ではないので数学なんかよく分からないよという方もご安心ください。「数学"っぽい"」だけですから。

まず、一次元のグラフがあるとします。横方向もしくは縦方向に一本だけ線を引くグラフです。
このグラフは「時間の流れ」を指すものとします。プラス側が未来、マイナス側が過去。そして、0の位置は「今現在」であると考えてください。

時間軸とともにものを考えているとき、過去の出来事はマイナス側に、未来の出来事はプラス側に位置しているということになります。
本来のやり方通りにできていればの話ですが。

ところが、この時間軸のグラフが考えられない人が少なからずいるように私は思います。
つまり、過去も現在も未来も「今現在」の一点に全て発生しているように考えているということです。
時間軸が考えられないことを本人が自覚できれば良いのですが、大抵の人は自覚できないようです。
すると、どうなるか。「昔こういうことがあって、今こうなっているんだ」と言っている時、ここでいう「昔」は「今に極めて近い『直前の点』」で発生しているのです。
というより、あえて「今に極めて近い直前の点」と表現しましたが、これはつまるところ「今現在」と同じ点を指します。
未来の話をする時も同様です。

これの何が問題なのかというと、状況の把握などがちぐはぐになってくるのです。
例えばこんなことがあったとしましょう。

ある武将Aが他の武将Bに戦いを挑むことになりました。武将Aが詳細に武将Bの兵力を分析したところ、Bの兵力はAの兵力より遥かに弱小で、武将Aのみならず近隣国の武将までもが「これならば武将Aの勝利は確実だろう」と予想しました。
そこで武将Aは戦い前に高らかに勝利宣言を行いました。
そして、戦いがはじまりました。すると、信じられないことに武将Bは武将Aを遥かに上回る兵力を動員してきました。この戦の後に分かったことですが、武将Bは誰にも知られることなく山奥の要塞に強大な兵力を隠していたのです。
こうなると武将Aに勝ち目が無いのは言うまでもありません。近隣国の武将も武将Aも、これでは敗北してしまうと予測を改めましたが、すでに戦がはじまってしまっているものですから、武将Aは敗北を味わうことになってしまいました。

さて、この出来事を「時間軸を捨てて」考察し、まとめてみましょう。

武将Aは武将Bに誰が見ても圧倒的なほどの兵力の差をつけられて敗北した。
それにも関わらず武将Aは戦の前に勝利宣言をするという理解し難い行動をとっていた。

こうなるかと思います。これを考えた本人は時間軸を考慮できていると思い込むのですが、実際のところは全くできていないわけです。
「こんな馬鹿な捉え方するやつがいるかよ」と思うかもしれませんが、このような考え方をする人を私は何度も見てきました。
よくある例では、歴史について語るときです。
言うまでもなく歴史というのは、刻一刻とあらゆるものやことの状態が変化し続けた結果なのですが、このような考え方をする人の発言を見るとまるで「数十年、数百年あるいは数千年以上不変であったものがつい最近変化してしまっている」かのように感じられるのです。
「言葉の乱れ」について語るときというのが例の一つです。
昔は「~~にありける」とか「~~で候」とか言ってたのが、どうして今では「~~です」などとなっているのでしょうか?
言葉の変化は時間軸が考えられない人から言わせれば、「若者の言葉遣いが乱れているから」なのですが、ならば「~~で候」も「~~です」もその人にとって「正しい言葉遣い」であるはずなのに、どうやって今のように変化したのでしょう?朝廷や幕府や内閣府が言葉づかいを改めるよう告示を行ったからでしょうか?
そんなことないですよね。ただ、明治時代に標準語の制定はありましたが、それ以外の言葉遣いの変化というのは「時間軸が考えられない人が言う『言葉の乱れ』」によって起こってきたことですし、結局標準語の制定というのも「時間軸が考えられない人が言う『言葉の乱れ』」によって生まれた言葉遣いの一つを取り上げて、これを標準語に定めると言っただけにすぎません。

どうしてそのような人が時間軸を考慮できないのかは定かではありません。
ある人はそもそも脳がそういう構造になっていないのではないかとか、ある人は記憶容量不足によって処理の際ところどころ情報が脱落してしまうからではないかとか、いろいろ考えられます。
そもそも、各々で理由は異なるはずなので、理由を一つに絞ることは不可能です。
願うのは、この記事によって自分のものの考え方について見直し、もし間違っているのであれば、もしなおせるのであればなおすよう努力する人が一人でも多く出ることです。
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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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かなり気まぐれ。
ゲームの話が多いかも?

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